読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

zakkuri_zakkuri's blog

140字じゃ伝えられないことをときどきね。

政治のお話

タイトルはアオリです。

 

「政治」っていうと、その定義付けってすごく難しくて、ヘイトスピーチにあたるようなどうしようもないところから、居酒屋のおっちゃんの給料の上がらないカタルシスネタにあたるようなところまであると思います。


本来各政党が出してきた政策を冷静に吟味して、「良い」「悪い」だけではなく、改善点を追及する・・・なんていうのが理想的なんだと思いますが。

そもそもの部分で「宗教」「思想」「信条」とつながってくるのは不可避なジャンルだから、とある人間とは仲良くなるのにとてもいいものだけれど、とあるクラスタとはそれこそ殺し合いになるような憎しみ(ヘイト)を引き起こすようなものであるのは言うまでもないのであって。


「ワタシはこう思う」だけを主張しすぎるとケンカになり、一歩引いてお互いの意見を傾聴する・・・なんてことがインターネットでできるといいですよね。無理だと思うけど。


「オレもそう思う」「俺はその考え納得できない」が感情的に突っ走るインターネットには向かないジャンルの話ですよね、政治ネタって。

 

そんな世界に「メディア」というのが、踏み込んでいくのはとても難しいと思っていて、完全に「中立」な立場をとるのが理想系とされながらも、それまでにメディアのもってきた「性格」が「保守的」なのか「革新的」なのかによって、仲良しにも殺し合いにも発展しうるものだと思っています。

さてネットの時代になって、既存メディアとか歴史が解決しきれずに悩み続けてきた問題を、「ネットならではのオープン性が平和裏に解決できるか」なんて言ったら、むしろ逆で、匿名で特定個人を誹謗も中傷もできる環境では、収拾がつかないというのが
リアルなところなんじゃないでしょうか?

だってコレまでだったら、自分なら絶対行かない赤羽のセンベロの店で、コキタナイオヤジが「アベノミクスのせいで、お金ナイノミクス」なんて話しているのを聞かずに済んだのが、ソーシャルリスニングで聞こえてきちゃう時代ですからね。

政治の話なんて、暗がりでヒソヒソやっているほうが、日本人にとってはいいんじゃないかな?そんな気もしています。
そもそもオープンな場で議論することに慣れていないんですもの。日本人は。

議論ってどういうことなのか?そんなことをきちんと学びなおしてからでいいんじゃないでしょうかね?政治をオープンな場で語るのは。否インターネット上で語るのは。
そんなことを思わせるほど、最近幼稚なことが多いですよね、インターネット界隈は。と思ったのでした。

そういえば「アラブの春」はどこに行ったのでしょうか?誰か教えて。

久しぶりの更新

そういえば「インバウンドマーケティング」とか「ネイティブアド」とかいろんなバズワードが生まれては消えていったような気がしますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?ハフィントンポストお元気ですか?

 

2000年来、インターネットが「ブロードバンド」と呼ばれる大容量通信でつながり、それがモバイルというジャンルで更に加速していっていますが、そういったインフラ面での拡充がなされていった一方で、その上になり立つメディアや無料のメディアを支える広告事業、ユーザーから課金して事業を成立させるためのモデルが、いくつと出てきては、あっという間に消えていく。

 

そんな15年間が過ぎ、ソーシャルメディアというメンヘラ増幅システムがこのところ大流行です。

 

インターネットは一体どこに向かっていくのでしょう。ブログを書いていない間、「リアル」な世界にどっぷり浸かって生活することが多かったワタシは、そんなことを考えることが多かった1年でした。

 

ということで、気絶から目覚めたように、思い出したように、たまに更新してみますよ。

よろしくね。

春きたれり

春は出逢いと別れの季節ですね。

 

4月からはいろいろな世界でいろいろな出来事が立ち上がる反面、ひっそりとその役目を終えてクロージングしていくような事業もあったりして。

新しい事業とのワクワクするような出逢い、道半ばにして残念に終わってしまう別れ。

悲喜こもごも。

 

継続は力なりとはよく言いますが、新しい年度に入っても継続して事業を続けるというのは本当にすごいと思います。

そして、収益性のあがらず結果の出せない事業はすっぱりとあきらめて、企画や事業自体を切り捨てるという勇気というのも同じく大切なものだと思います。

 

個人的には、半年でなんら新しい成果が出せない事業というのは、1年経ってもろくなものは生まれないと思っています。これは経験則で。

 

冷静に世の中見回してみると、そしてよくよく自分の周りを眺めていると、無駄なこと、無為な経費、無為に過ごしている時間がなんと多いことか!と驚きますね。

 

 

そんな雑感を持った、3月末の昼休みなのでした~。

意識の高い本屋視察ツアー

先日常見陽平さんと会食をする機会があったのですが、3月中旬くらいに函館にあるらしい意識の高い書店「函館蔦谷書店」に行こうということになりました。

ココ→

http://www.hakodate-t.com/

 

もし決定したら、ツアー組みますかね。

 

現場からは以上です。

広告は広告、コンテンツはコンテンツ

 媒体を運営している人間だったら、情報化社会における「情報とは何か?」という考察をするのに、マーシャル・マクルーハンの論や梅棹忠夫の「情報の文明学」ぐらいはかじっていて欲しいんですけど、ここで「メディア論」について語るのはアホらしいので、割愛します。どっかで飲みながら話しましょう。

 

さて、昨日何気なく暇な時間にツイッターを見ていたら、なんだか「コンテンツと広告の融合」とか、もうなんだか「媒体」なんて金儲けのための「使い捨てのもの」としてしか考えていない人間がWEB上でのさばって来ているのね・・・とちょっと悲しい気分になったので、ここでダラダラと愚痴をこぼしている次第です。

 

言うまでもないですが、媒体と言うのは読者がいるからこそ成り立つのであって、読者に対して損害を与えたり、騙したりするようなものは、媒体とは呼べません。何ゆえ「ステマ」があれだけ問題になったのか?そういうことをきちんと肝に銘じていれば、「コンテンツと広告の融合」なんていう軽々しい言葉は使えないと思うわけです。厳しく言えば、「文章を読み進めていった結果、広告と気づく。不快に思わなければそれでいいだろ?(面白かったらそれでいいだろ?)」というスタンスのどこかのPの発言は、限りなく乱暴なのであって、情報を発信する側が「ネタ」とか「面白い」と勝手に判断して発信した情報が、結果読者を深く傷つけたり、不快に思わせた場合、誰が責任を取るの?媒体社?広告主?ということについても、非常に無責任な発言だと思うわけです。

 

メディアを運営するのに、全てがロハでなんてことはありえない(どこかで収益を上げなくてはならない)わけですが、どんなメディアを運営する人間でも持っていてほしい「矜持」みたいなものはあるとワタシは思っていて、それが兎にも角にも「読者至上主義」だと思うのです。メディアを作るにあたっては、その方向性として「マーケットイン」「プロダクトアウト」のいずれに重心をおいていくか、その媒体運営責任者の舵取りに掛かっているでしょう。例えば、ニュースの新規性を重要視する媒体の展開を望むのであれば前者のスタイル、オピニオンリーダー的媒体を目指すのなら後者の方向性などのようにです。媒体の方向性が決まれば、「広告中心で行くのか?課金で行くのか?」も決まるでしょうし、広告営業と言うことで言えば、「どのような読者を抱えているか?」をきちんと把握した上での「営業」をするべきだと、ワタシは思うのです。もちろん損益分岐点を考えてPV至上主義でいくのか、ECと連動させてCVが上がるような展開を狙うのかは、枝葉末節に当たる部分だと思っています。

 

ちょっと乱暴な言い方をすれば、広告なんてメディアにとっては所詮は「オマケ」です。「ジオングの足」みたいなものです。でもその足は「偉い人にはわからないもの」ではなくて、時にかっこよく見せてくれる役に立つものかもしれない。そのくらいの意識からスタートしつつ、では読者にとっての有益な広告とはどのようなものだろうか?ということに考えをめぐらせ、同時に顧客メリットも思案する。「媒体社の営業」も「広告代理店の営業」もそういうことを日々考えなくてはいけないフェーズにあるとワタシは思っているんですけどね。

編集記事と広告と

「ネイティブアド」という広告形態が、ウェブ媒体社を中心に去年末ぐらいから注目されてきているらしいですね。

個人的には、この広告なんだか記事なんだかわからない「あやふやな概念」の広告形態が顕在化してきたことは、テキトーな人間がテキトーなことを流布するようになっちゃうと、またしてもウェブ媒体の「信頼性」「信憑性」といった価値を揺るがしかねないなあと懸念しています。

 

「ネイティブアド」の概念の中に、恐らく含まれるであろう「記事体広告」は、それこそ「雑誌タイアップ」から「新聞の記事広告」などの形態を含み、その歴史は長いと思います。これまでとの変化と言えば、広告が掲載されるプラットフォームとしての媒体の種類(量)が増し、競合媒体が増えたがために、注目率向上への施策が多様化してきたということでしょうか。

こうした中で、

「消費者がどういった(広告)情報であれば信用して接触してくれる」

⇒よく読みこんで購買にまで結びつけてくれる」

のかを考えると、

「まずはとにかく接してもらう、少しでも長く読んでもらう」

⇒そのことで出来るだけ長い時間自社の製品情報に接触してもらう、理解してもらう」

という流れになるのは自然でしょう。

この「注目率」を上げるために、読者がついている「媒体社の看板」を活用するのは自然な流れです。

 

ワタシ個人的には、この媒体社の看板をうまく活用して「広告・PR」の展開を行うことには基本的に賛成です。媒体社の編集方針や目指すべき方向、コンテンツに協賛してもらうスポンサーを探し当て、ともに「コンテンツ展開する」「情報を流していく」ことで、媒体のファンである「読者メリット」「読者が必要としている情報」にきちんと繋げていくということが大前提とされて進めていく「ネイティブアド」はもっと研究されるべきではないでしょうか?そしてこのことが、安定した媒体の収益構造に貢献するのであれば、その研究はもっとなされるべきだと思います。

 

ただ残念ながら、いくつかの媒体で広告の要請に引きずられて、編集記事そのものさえ「提灯記事」に成り下がってしまっている事例が散見されるのはがっかりです。「ネイティブアド」という概念が一般化するにつれて、きちんとした広告と編集記事の「住み分け」ができている媒体とそうでない媒体との間で、読者間での「格付け」が行われ、いい加減な媒体が淘汰されていくと言う流れが加速すると思います。

 

媒体社の看板、せっかく自社の編集コンテンツを信頼して読んでくれている消費者を「裏切る」結果になるように使う媒体は、言わずもがな嫌われ、離反されていくものになるでしょう。これは何もインターネット媒体だけではなく、既存4マス媒体を俯瞰しても感じるものです。これまで以上に媒体社の編集と営業の双方のセクションが密に連絡をとりあい、バランスよい展開にしていくかが鍵となるのはいうまでもないでしょう。

 

 

そういう意味では、今年「媒体としてどのような主張・ポリシーを持っていくか」と同時に、広告の展開においても「いかに読者を騙さず、誠実に消費者と向き合うか?」が厳しく問われるように思います。「フェイク」や「盛る」行為はどんどん淘汰されていくのでしょうね。そう思います。

ことよろです。ワタシのノリで予想してみたょ!

 あけましておめでとうございます。

 年末年始と多忙にかまけておりまして、まあだれも更新なんかは期待していない、つぶやきの延長みたいなブログを更新してみようと思います(笑)

 

年頭所感というわけではないですけれど、年始には大概に「今年はこうなる!」的な業界予想のようなものが、これまた胡散臭い我田引水の商売とわかりやすく紐づいて発表されるのですが、そういう流れに乗って由無しごとを。

 

【今年は法律で摘発されることが多くなる。いやマジですか?っていうレベルで】

 

法律って、ワタシの感覚では「逮捕」とか「処罰」に直結するのものではなくて、ある意味抑止力として機能するもの、時折「みせしめ」的に逮捕者や処罰されるものが出てくるものという認識でしたが、この下半期に入ってからのニュースを見ていると、どうもそういう時代から、一発逮捕!のような流れになってきているように思います。

薬事法」「医療法」「健康増進法」「特商法」「景表法」あたりが、商売をやっていると関連してくる法律だと思うんですが、最近この法律に照らしての「摘発事例」がとても多くなったような感覚があります。統計データがあるわけではないのですが、「消費者保護」という名のもとに、特にネットで顕在化されやすい「詐欺商法」を徹底的に根絶やしにしてやろうという当局の思惑が何となく見え隠れしているような気がします。

 いろんなメディアの主張を眺めてみても、コレまで以上に「ネットは胡散臭い人間が多いから、まずガードを固めていこう」っていう企業のネットへの危機意識が強くなってきているのをひしひしと感じます。一方でうまくやれば「元手いらずで濡れ手に粟」という商売を、物量で展開しやすい世界でもあるわけで。さてどうなりますか。

 

【個人情報の意識が高まる?】

デジタルの世界でのテクノロジーの進歩が目に見えて「陳腐化」しているように見えてくる昨今、儲けようと画策する会社は、法律スレスレのところを突いたサービスを考えがちです。そうした新興の企業が「雨後のたけのこ」のようにうじゃうじゃ出てくると思います。

「LINEの成功」と世の人は言いますが、振り返ってみればユーザーへの個人情報へのアプルーバルの取り方が適切であったのかについて、未だ疑問符がつくところがあるのが、ワタシ個人の感想です。

 

「とりあえずやってしまって、後で修正すれば何とかなるさ」

という利益最優先の過激な会社が狙うのは、いまやビッグデータという言葉でくくられて、ワケの分からないカオス状態にある「個人情報」であるかと思います。もちろん、ひとことで「個人情報」といっても、その定義をきちんと理解している企業もあれば、勝手な解釈で適当な開発をしている会社まで、ぐちゃぐちゃの状態になりつつあると思います。そんな中、「個人情報」が「生体情報」という分野にまで関わってくるとすれば、ことは深刻です。「ビッグデータ」とか「マーケティングデータ」というオブラートに包まれた言葉に騙されて、実は発注企業そのものが個人情報の最も危険な分野に片足を踏み入れていないか、その事業領域が適法であるか?ということに慎重にならなくてはいけない時期に突入している気がします。

 

 

まあ簡単に言ってしまえば、そういう「個人情報」に対して意識の低い会社は世の中から排斥されていけばいいと思うわけですが、まあそう簡単にはいかないということで。このジャンルに関しては、きちんとした解釈の普及と企業としてのモラルの育成にかかっているのかなと。事業として成功しなくてはと焦る、ぱっと出の企業の提案には要注意するしかないのかもしれませんね。