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zakkuri_zakkuri's blog

140字じゃ伝えられないことをときどきね。

長崎の日に思う

 

長崎の原爆資料館に数年前に行ったことがあります。(まだ広島には残念ながら行けていないのですが)行かれたことのない方は、是非行かれることをお勧めします。

 

長崎原爆資料館HP

http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/abm/

 

爆弾1つで何万人という命が瞬時に奪われ、生き残った人間には地獄の苦しみを与え続ける。熱線があっという間にありとあらゆるものを溶かし、鉄を曲げ、大地を焦土と化す。展示されているもの一つ一つを見て、それがほんの数分前にはあるべき姿のまま、日常生活の中に溶け込んでいたことを思うと、戦争の異常さ、人殺しの恐ろしさを感じざるを得ません。

 

長崎も広島も太陽が昇っている明るい昼間に爆撃されました。爆撃後には「原爆雲」もあって暗くなったと思いますが、それでも昼間の出来事です。熱線に焼かれ、そこかしこに重度のやけどの人間が水を求めて歩き、あるものは行き倒れ、生きながらにしての地獄絵図を見せられた被爆者の心境は計り知れません。想像を大きく超える地獄です。ワタシが個人的に数回に渡って「科学の暴走」に警鐘を鳴らし続けるのは、実は文明の発展には表と裏の結末が必然であり、それを生かすも殺すも人間次第であるということに恐怖に似た感情を抱いているからなのです。

 

科学の発達が、来るべき超高齢化社会に向け、その人間生活を手助けするようなものを開発し、発展し、プロダクトを生み出すことは歓迎するべきことです。異論はありません。がしかし、そうやって開発されたプロダクトそのものが、人間の幸福とは逆の利用をされたとき、悲劇の連鎖が始まります。

「ロボット」開発が一方で人間の生活を補完し、人の手の届かないところを補って役立つ一方で、軍事用ロボットの開発に見られるように逆の利用もあるのです。脳科学にしても、最新医療にしても、その利用方法が人間の「欲望」に支配されたとき、悲劇は始まるといって良いでしょう。想像するだけでも場合によっては人を「死」に追いやることの出来る科学なのです。科学にはその背中あわせの恐怖が常にあります。

 

ワタシが今ご飯を食べている「広告」という領域でテクノロジーがどのような使われ方をしているか冷静に見てみると、本当に生活者の幸せを願っているのか疑問に思うようなことばかりです。「リターゲティング広告」では、たった一度見にいっただけなのに、なんどもそのサイトの広告を見せられたり(技術的に●回見せたら、そのユーザーには掲出しないなんていう小細工は簡単なはずです)、LINEであれば、知らないうちに電話番号とそれ以外(どんな情報が吸い上げられているか分かりにくい)のデータを吸い取られ、何に活用されているか分かりません。しかも一度吸い取られたデータはクラウド上で消すことすら適わないのです。

 

取られたデータがどう活用されるか、それは事業社側のモラル、倫理観にゆだねるしかないのですが、果たして現在の状況を見るに「顧客のメリットを具現化すればいい」ひいては「儲かればいい」という方向に加速しているように見えないでしょうか?私には見えます。それは怖いのです。ただただ怖いのです。

 

 

 科学・テクノロジーという「道具」を扱うのは人間です。人間が人の心を思うことを亡くしたとき悲劇は必ず起こります。ただただ「ビジネス」という名の「金の亡者」にテクノロジーが悪用されないことを、心から願うばかりです。大学・研究者は「象牙の塔」であってこそ輝くものです。実社会とは適度な距離をおき、俗世で汚れた「にわか研究者もどき」の誤った商業主義に騙されず、巻き込まれないことを切に願っています。