読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

zakkuri_zakkuri's blog

140字じゃ伝えられないことをときどきね。

メディアとどう接したらよいのか(雑感)

 例えば「メディアリテラシー」を語るなら、本当なら「メディアとは何か?」ということをきちんと定義してからスタートするべきなのですが、「バルス祭り」とか「麻生ナチス発言」とか「ネット選挙」とか、生活者とメディアとが接触して、何か社会的に作用、反作用が起きるということが出てきたので、もう少しざっくばらんとした内容を徒然なるままに書こうかなと思いました。

 

  そもそもメディアとどのように接触しているのでしょう?

 

さて日常生活で私たちはメディアとどんなおつきあいをしているでしょう?今朝方、田端信太郎氏のツイートでこんな記事が流れてきました。

 

メディア接触トップ交代TVからデジタルメディアへPCからモバイルへ

http://blogos.com/outline/67451/

 

各メディアの接触時間の変遷をたどりながら、生活者との関係性について考えるコラムです。

この記事にある接触時間を見てどう思われるでしょうか?

ワタシがこの資料を見て感じたのは、今の生活者の時間の「使い方」が確かに大きく変わってきているのだなあということと同時に、しかし接触時間が減少する、あるいは増加することと、そのメディアそのものが社会に及ぼす影響力との相関関係は時間だけでは量ることができないのではないかという疑問です。その典型的な事例が例の「バルス祭り」のように感じていました。

 

  共有する「ネタ」の根源は今もマスメディア

良くアメリカのメディア変容の事例を引き合いに出し、「アメリカでは○○だから日本もこうなる」という話を耳にすることが多いですよね。でもアメリカに置けるメディア環境と日本のそれとを並列に考えて良いのでしょうか?そもそもアメリカでは全国紙と呼べる新聞はUSA TODAYくらいですし、テレビもスポーツチャンネルを除けば、原則ローカル局、ケーブルというもとで発達しています。日本のようにキー局があり、番組が全国でネットされ、全国同時に「バルス」なんてツイートできません。そもそもアメリカには国内で時差がありますしね(笑)そこらへんのことはメディア関係のお仕事をされている方々からすれば、自明の常識とも言えることかなと思います。

 日本と米国のメディア事情を単純に「同列に」扱うというのは、とんでもなく乱暴に感じます。日本の「マスメディア」と呼ばれる存在は、その社会に及ぼす影響も、同時間での情報波及効果においても、諸外国のそれとは異質の日本独自のものと想定して考えた方が良いのではないでしょうか?

そして、今回の「麻生発言」。ワタシは、今もネット上で拡散する内容を興味深く眺めています。多くは「マスメディアにより恣意的に発言を切り出され...云々」というものですが、これをみるとネットの世界の特殊性を見て取れます。凄く面白い。「麻生談話」という1次ソースに対して、ユーザーがそれぞれ独自の解釈を加えながら、常にマス媒体で報道された内容と比較し論じているのです。ほとんどのケース、マス報道を意識していない言説はないと言っていいくらいです。ここにも日本人とマスメディアとの関係性を見て取ることが出来ると思います。

 

  強烈な議題設定能力をもつマスメディアと瞬時の共有性をもつソーシャル

 

PRを学ぶと、このマスコミの「議題設定能力」というのを意識して、いろいろなメディアプランを考えるのですが、特に日本ではマスコミによる議題設定能力が強い文化にあると言えると思います。で、その力というのが個人の意見や考えを加味して瞬時に共有されるのがソーシャルメディアの特徴です。先の「接触時間」という考え方では、デバイスの普及であったり、使い勝手という点からスマートフォン、タブレットPCによるネット環境への接触時間が大きくなっていることは否めません。ただその接触しているときの生活者のEthnographyに注目してもいいと思います。

 つまり、各メディアに接触しているときの生活者の集中力であったり、メディア接触における意識を調査してみるというところです。この調査方法はどうしても量的部分(データ)での弱点はあるのですが、例えば先のデータで新聞への接触時間が減少しているとして、新聞から情報を得る生活者がどのような新聞の読み方をしているのか?ということを考察するのは非常に重要なマーケティングデータになりうるということです。

例えば新聞を読みながらスマホはいじれない。でもスマホをいじりながらでもテレビは見ることが出来る。

 とこれは根拠のない、自分自身の行動からの仮説ではありますが、もしこの仮説が是とされるなら、新聞というメディアは少ない時間で集中するメディアであり、集中されて接触されるがために、消費者にどのような効果があるのかということを考える必要が出てきます。テレビも然りです。

 何が言いたいかというと、メディアの接触時間そのものが比例して、そのメディアそのものの影響力であるというフェーズではないのではないか?ということなのです。

 

  まだ考察が必要な領域ではありますが・・・

今日はまだ考えが整理できていないので、なんとなくダラダラ書いてしまったのですが、接触時間の相違が必ずしも影響力と比例しないと言いつつも、一方で今までとは異なってきているということも事実であるとは感じています。

この点については、また考えがまとまったらとは思いますが、個人的にいろいろな方と議論してみたい領域のことでもあるのです。そして広告業界の1プランナーとしては、私たちを取り巻く環境とメディアの性格の変容がどのようになっていくかについて、真摯に考えていかなくてはならない時代になっているのは確かだと思います。