zakkuri_zakkuri's blog

140字じゃ伝えられないことをときどきね。

コミュニケーションってなんでしょう。

今日は推敲もなにもなく、徒然なるままに思いつくままに書き散らします。

稚拙かつ駄文をご容赦下さい。

 

「コミュニケーション」ってなんでしょう?

人と人は分かりあえるとは思いたいですが、本当に分かりあえるそのゴールはどこにあるのでしょう?

ときどきそのゴールを知りたくて、人は「暴走」することがあると思います。

 

「分かりあう」ってなんでしょう?

それは「いっときのカタルシス」でしょうか?

「分かりあえた」と勝手に思う「自己満足」なんでしょうか?

 

コミュニケーションが続くのは、「お互いが全く理解することができないから」と私はいつもそう思うようにしています。実はこの継続性こそが大切なんじゃないか?このことを私は「コミュニケーションを諦めない」といつも繰り返し、そのいらだちをTwitterでつぶやいていた気がします。

最近Twitterをはじめとしたソーシャルメディアで、人と人との「言葉」「文字」での接触が増すことによって、この「コミュニケーション」ってなんだろう?という考え方をこのメディアに触れるあらゆる人々が直面しつつある問題のように感じています。

 

話はそれますが、こうした電脳空間、言語に託した会話は現実世界からは「乖離」しています。でも「乖離」の度合いというのは、そのフィクションの度合いはその人によって違います。この人のリアルはこんなことをいう人ではないのにという印象はこんなところから出てくるものだと思っています。「文章を書く現実の人格」と「文字という記号に託したもの」との間には、その人それぞれに、「開き」が生じるのは仕方のないことです。

よく「Twitterでの発言と現実は全然違う」という話を聞きますが、それは私にも当てはまるかもしれない。そのギャップを楽しんでいる私もどこかに存在しています。

 

ところが、その「乖離」がトラブルを起こし、人を傷つけ、現実社会での言動がさらにそれを加速させ、そんなことを生みだす時代が、もうすぐそこまで、否もう起き始めているのではないでしょうか?

実は「バーチャルリアリティ」というのは、VFXの世界の話ではなくて、言葉の世界にこそあるのではないかと思っているのです。

 

だから「言葉のコミュニケーション」をもう一度考え直すときになってきている。相手のことを考えて「言葉を紡ぐ」ということは、どういうことかを考える。そんなことが物凄く大切になってくるんじゃないかと感じているんです。

 

ああなんだか散漫になってしまった。妄想を文章にするのは難しいですね。

 

今度はちゃんと推敲して文章書きます。